2013年10月19日
僕のクルマライフ…27歳のころ❶ダイハツ•ミラ
黄色いミラから始まった、私のクルマライフ。
スズキが47万円のアルトを発売して俄然人気が復活してきた“軽”。
でも、いくら何でも、あれじゃなあ、とデザイン的観点から冷静だった僕だったが、
ダイハツから“ミラ”が発売されて、気持ちがかわった。値段は、アルトよりちょッと高い49万円だったかな。
それのほんの少し豪華版(何が違うのかな?ディスクブレーキとか、ラジオが付いてるとか、そんあ違いと思った)が
ミラ、Bタイプ(53万円くらい)。とにかく、かわいらしさに一目惚れ。
すぐにダイハツへ。黄色で、エアコンはなくてもいいが、ホイールはハヤシ・ストリート。屋根に後付けでいいからサンルーフを着けてもらう、
そして、リアウインドウにワイパ−。この三点は譲れなかった。
ダイハツにの営業マンが、
『ええっ!!』て、いう。
ホイールは問題ない、市販品だから。
サンルーフは、ボデイの強度の問題で、難しと言う。
「ええて、ええて、多少屋根が歪んでも、多少サンルーフが開かんでも。ありゃあ、い、い、の。」
リアワイパーも、ウオッシャーと連動して動かすのは、ディーラーでも大変だという、
「ええて、ええて、ワイパーなんか動かんでもええの、ありゃ、い、い、の。」
ようするに見て暮れだけの問題、僕のデザイナーとしての美意識だけの問題、と言い張った。
場所は、名古屋の大須のダイハツディーラー。
本当は、エアロキット(トリノキット)も一緒に着けたかったが、予算の都合で我慢する、なにせ、貯金なんか一円もないのに、
まあ、ずーずーしい。本体53万円の軽自動車は、途方もない?要求に、諸費用を含めると倍近い金額にふくれあがってきた。
当時給料なんか、15万くらいあったかなぁ、住まいが大須で会社が栄。行きも帰りも、寄り道の連続で、お金はいつもすってんてんだったのに、
どこから、百万近い金が出たんだろ??
スズキが47万円のアルトを発売して俄然人気が復活してきた“軽”。
でも、いくら何でも、あれじゃなあ、とデザイン的観点から冷静だった僕だったが、
ダイハツから“ミラ”が発売されて、気持ちがかわった。値段は、アルトよりちょッと高い49万円だったかな。
それのほんの少し豪華版(何が違うのかな?ディスクブレーキとか、ラジオが付いてるとか、そんあ違いと思った)が
ミラ、Bタイプ(53万円くらい)。とにかく、かわいらしさに一目惚れ。
すぐにダイハツへ。黄色で、エアコンはなくてもいいが、ホイールはハヤシ・ストリート。屋根に後付けでいいからサンルーフを着けてもらう、
そして、リアウインドウにワイパ−。この三点は譲れなかった。
ダイハツにの営業マンが、
『ええっ!!』て、いう。
ホイールは問題ない、市販品だから。
サンルーフは、ボデイの強度の問題で、難しと言う。
「ええて、ええて、多少屋根が歪んでも、多少サンルーフが開かんでも。ありゃあ、い、い、の。」
リアワイパーも、ウオッシャーと連動して動かすのは、ディーラーでも大変だという、
「ええて、ええて、ワイパーなんか動かんでもええの、ありゃ、い、い、の。」
ようするに見て暮れだけの問題、僕のデザイナーとしての美意識だけの問題、と言い張った。
場所は、名古屋の大須のダイハツディーラー。
本当は、エアロキット(トリノキット)も一緒に着けたかったが、予算の都合で我慢する、なにせ、貯金なんか一円もないのに、
まあ、ずーずーしい。本体53万円の軽自動車は、途方もない?要求に、諸費用を含めると倍近い金額にふくれあがってきた。
当時給料なんか、15万くらいあったかなぁ、住まいが大須で会社が栄。行きも帰りも、寄り道の連続で、お金はいつもすってんてんだったのに、
どこから、百万近い金が出たんだろ??
Posted by thom7gashima at 16:12 | Comments(0) | スバル、レガシーBG5